
お笑いタレント志村けんさん(66)
若い頃からお笑いの世界で活躍してきて、私生活でも、三味線を弾くなど多趣味です。
そんな志村さんは、祖父母、両親、叔母、兄2人の8人という、大家族で育ちました。
志村さんがお笑いの世界に憧れをもったのは、家族の影響があったようです。
ということで今回は、志村けんさんの家族
厳格な教師だった志村けんさんの父、賢司さん
志村さんの一番のファンだった母、和子さん
東村山市職員だった志村さんにそっくりな兄、和之さん
にスポットを当ててみましょう!
教師だった志村けんさんの父、賢司さん
元軍人で、戦後に小学校教諭となり、教頭まで昇進したという、志村さんの父親賢司さんは、厳格な性格の持ち主でした。
柔道5段で、躾にとても厳しく、お仕置きで殴られることも多く、怖くて口をきけないほどの存在でした。
志村さんが子供の頃は、そんな厳格な父親が家庭を支配していたため、常に重苦しい雰囲気が家に漂っていたというほど。
でも、その当時には珍しかった、テレビのお笑い番組で、漫才や落語を見ている時だけは、賢司さんも笑いをこらえながらテレビを見ていて、雰囲気が和らいだそうです。
そんな体験を通して志村さんは、お笑い芸人の世界に憧れ、目指すようになりました。
そんな父親も、志村さんが正式にドリフのメンバーになる前に亡くなります。
志村けんさんの芸名は、父親の名前「賢司」に由来しています。
定番の芸である、爺さんのコントは、賢司さんをモデルにしたものだそうです。
志村けんさんの、お父さんへの愛が、こんなところに表れているのですね。
志村さんの一番のファンだった母、和子さん
2015年11月23日に亡くなった母・和子さんは96歳でした。
踊りや楽しいことが好きな明るい性格で、3人兄弟の末っ子だった志村さんが、高校卒業後コメディアンになることを後押ししたのが、和子さんだったそうです。
志村さんが幼い頃は、父親が教師だったため、志村さんの祖父とふたりで農業をやり、ひとりで家事をこなしていました。
旅行などにようやく行けるようになったのは、志村さんのお父さんが亡くなった後。
大変な生活をしていても悪口を一切言わない人で、そんなところが、周りから好かれていました。
また、おしゃれな人で、5,6年前に入院していた際も、お嫁さんに化粧道具を持ってきてもらうように頼んだり、デイサービスに行く際も、綺麗なワンピースを着て、お化粧もきちんとする人だったそうです。
息子の「いちばんのファン」と公言していたという和子さんに
「産んでくれてありがとうという言葉しかないですよね」
と志村さんが、最期のお別れの際、感謝の言葉を述べていました。
東村山市職員だった志村さんにそっくりな兄、和之さん
2013年4月4日のNHK「あさイチ」に出演し、そっくりだと話題になったのが、志村さんの兄、和之さん。
週刊新潮、2014年9月18日号によると、和之さんは、大学を卒業した後に、東村山市職員となり定年しました。
現在は、嘱託として仕事を受け、高齢介護課に在籍しているそうです。
志村けんさん同様、友達が多く、飲みに誘ってもなかなか予定が合わないとか。
確かに画像も、知人と楽しそうに飲んでいる、賑やかな画像が出てきます。
志村けんさんは自身の性格を、楽しいことが好きな母親譲りと話していましたが、お兄さんもお母さん似の明るい性格のようですね。
1998年にまだ和之さんが、現役で東村山市職員として働いていた時に、ある人がお兄さんに会いに行ったという画像がこちらです↓
メガネをかけていないと、志村けんさんそのものですね~!
まゆげと目のたれ目加減が、そっくりです~!
子供の頃はよく兄弟げんかをしたそうです(*’ω’*)
お笑いで活躍している志村さんが、厳格な家庭で育ってきたのは意外でした。
ちなみに、志村さんは、子供を作ってバカ殿2世をやらせたいという夢があるそうです。
志村さんの家族を思う気持ちが垣間見ることが出来、ほっこりといたしました(*’ω’*)
三味線を弾く、かっこいい志村さんのCMについての、詳細記事はこちら!
👉志村けん、氷結のCMでスカパラと共演し三味線を披露!師匠はこんなに凄い人!【動画】
志村さんは芸達者で、真面目にこつこつと努力する人なのですね。
かっこいい志村さんを、垣間見ることができました。