大人気のお笑い芸人コンビ、オードリー!

派手な動作や言動で、目立つ春日さんのとなりで、沈着冷静、一見地味ながら、適格なツッコミで笑いをとる若林さん。

お笑い番組はもちろん、バラエティ番組のMC、俳優業、本の執筆など、マルチに活躍されている、芸人さんのうちの一人ですね。

今回は、そんなオードリーの若林さんの父、プライベートな部分に、スポットを当てていきましょう!

若林さんの芸人根性を見て、あなたも若林さんを見る目が変わるかも?!

オードリー若林さんってこんな人!

本名 若林正恭(わかばやし まさやす)
生年月日 1978年9月20日(38歳)
血液型 O型
身長/体重 169.0cm/60.0kg
最終学歴 東洋大学文学部国文学科

若林さんの生家は、東京都中央区明石町にありました。

でも地上げに逢い、小学校6年生のときに、杉並区久我山へ転居されたようです。

このことから、小学校へ電車通学をするようになり、若林さんに心境の変化をもたらします。

毎朝、満員電車で通勤するサラリーマンを、見た若林さんは、「自分は芸人になろう」と思ったのです!

その思いのまま、芸人として成功を収めている若林さん。

かっこいいですよね!

オードリー若林さん、父との隠された関係

「お笑い芸人になりたい」と話すも、若林さんの父は猛反対!

しかし、そんな父の反対を押し切って、2000年4月に、春日さんと、コンビ名「ナイスミドル」を結成し、デビューしました。

オードリーは当初、ナイスミドルというコンビ名だったんです!

2005年4月に「オードリー」に改名して今にいたります。

父に、芸人になることを反対されていた若林さんは、2007年には勘当されてしまいました。

芸人として、なかなか芽が出ない頃、父は「芸人を辞めて定職に就くか、家を出て、そのまま芸人を続けるか」という念書を司法書士に作成してもらったとか。

結局、若林さんは、芸人を続けることを選んで家を出て、絶縁状態になりました。

若林さん、父との仲を取り戻した出来事とは

若林さんが父との絶縁状態を、解消するきっかけになったのが、見事、準決勝進出を果たした、2008年のM-1グランプリ!

でも、「準決勝に進出したから」ではないんです。

若林さんの父は、熱狂的な阪神タイガースの、ファンでした。

それに対して、準決勝に進出した、M-1グランプリでの、エントリーナンバーが「4431」。

これが、ランディ・バースの背番号「44」と、掛布雅之の背番号「31」を合わせたものだと、思い込んだ父が感動し、和解のきっかけになったということです。

偶然がもたらしたとはいえ、仲直りできて、本当に良かったですね!

オードリー若林の父、他界したのはいつ?

せっかく仲直りできた、若林さん父子ですが、父は2016年4月に闘病の末、他界されたそうです。

1年半弱、入院されていたそうなんですが、その間、若林さんは忙しい合間を縫って、お見舞いに訪れていたようです。

著書に、「社会人大学 人見知り学部 卒業見込」(2013年5月17日発売、角川文庫/メディアファクトリー)がある若林さん。

病床の父がずっと「火花」(又吉直樹著、2015年3月11日発売、文藝春秋)を読んでいて、「いや、俺の本、読めよ」って思った、なんていうエピソードもあります。

あえて、本人に言わず、「思った」というところが、妙に若林さんらしいですよね。

オードリー若林さん、父の死後

多忙な若林さんは、父の死に目には逢えなかったそうです。

若林さんご本人は、「仕事は、仕事」と割り切っていらっしゃったようですね。

お葬式も、仕事をこなしつつ、空いた時間に顔を出すといった具合でした。

テレビなどでは、全く父の死には触れず、普段どおり仕事していたので、改めて、若林さんのプロ根性を見た気がします。

芸人になることで、一度は絶縁状態にはなりましたが、天国の父も、若林さんの今の活躍を誇らしく、見守っていると思います。

これからの活躍に期待です!