
女性お笑いピン芸人、物まね芸人として人気を集めている、キンタロー。さん。
前田敦子さんのものまねで、「お尻を出しても、嫌いにならないでください!」といい、大ブレイクしました。
私生活でも、番組で一緒に仕事をしたという、番組ディレクターと2015年12月14日に結婚。
傍から見れば、順風満帆!といった人生を送っているキンタロー。さんですが、実は、とても悲しい出来事を、乗り越えてきた過去があるのです。
喜びの結婚式の前に、すでにご両親は、亡くなっていました。
死因はなんだったのか、なぜ、キンタロー。さんが、芸人を目指したのか。
結婚式に、バージンロードを妹さんと歩いた、キンタロー。さんの想い。に迫りたいと思います。
キンタロー。さんは、お嬢様!順調だった人生
愛知県生まれの、キンタロー。さん。
父親、専業主婦の母親、キンタローさん、5歳年下の妹さんと、何不自由なく、暮らしていました。(上の画像は妹さんとです)
自宅があったのは、繁華街にある、雑居ビルの1部屋。
両親が、このビルを所有していて、自宅としている以外の部屋を、テナントとして貸し出すことで、生計を立てていました。
いわゆる不動産収入があったのですね。うらやましい。
地元でもお嬢様として有名だったそうですよ!
高校時代には、高1でカナダへホームステイをするなど、何度か短期留学を経験をします。
その後、語学力を活かした進路を選び、大阪の関西外国語大学に進学し、そこで、ダンス部に入部し、社交ダンスを始めます。
この社交ダンス、衣装や、発表会や競技会の参加などに、お金がかかるんですよね。
ドレス代は、借りても5万円、買ったら20~30万円するものもありますし、出演料は、1万円から、イベントにもよりますが3万円以上かかるものも!
そんなんで、ご両親からの仕送りは、月20万円にもなったとかΣ(・□・;)
ご両親からの支えと、キンタロー。さんの努力が実り、大学時代に全国大会4位に入る等、大活躍しました。
キレッキレのキンタロー。さんのダンスです↓
大学卒業後は、社交ダンス講師として働き始め、順調な人生は続くように思えましたが、ここから、壮絶な人生が始まってしまうのです。
キンタロー。母親の突然亡くなった死因とは
キンタロー。さんが小学校4年生位の頃、顔が大きくなってきたことを、「顔がでかい」「顔が四角」と、周りの男子からバカにされたことを母親に言うと
『こんなに可愛いのにブスはわけない。みんな妬んで言っているんだよ』
『鏡見てごらん。こんなに可愛いのに、そんな贅沢言ったらバチ当たるよ』
と答え、キンタロー。を溺愛していたお母さん。
大学時代も、キンタロー。さんの大会出場を応援するのが、楽しみだったそうです。
そんな順調だった、家族の生活にかげりが見え始めます。
不景気の影響で、所有していたビルに、全くテナントが、入らなくてなり、経営がうまくいかず、借金も増えていきました。
以前のような暮らしが出来なくなり、ふさぎ込むようになった母親は、「死にたい」と口にするようになりました。
そして、2007年2月16日夕方、近くの鮮魚店で買い物をした、母親は、そのままビルの屋上まで行き、飛び降りました。
そう、キンタロー。さんの母親の死因は自殺という、なんとも悲しいものでした。
置き手紙などもなかったので、突発的に起こしたことだったのかもしれません。
キンタロー。さんと妹さんは、ただ、泣くことしかできなかったといいます。
ショックを受けた家族、父親。キンタロー。さんの決意
母親の死に、父親はショックを受けて、病気となってしまい、名古屋市内の特別養護老人ホームで暮らし始めました。
そんな父や、悲しみから立ち直ることのできない妹さん、。
そんな家族を見て、キンタロー。さんの中に芽生えた決意とは。。。
「キンタロー。さんの、ものまねが大好きだった、天国にいるお母さんに、頑張っている姿を見せること。」
ものまねをすれば、きっと母親も笑ってくれる。
家族も元気になる!
そんな思いから、お笑いの道に進むことを決め、2008年、実家を離れ、名古屋市に引っ越して、松竹芸能タレントスクールに20期生として、2011年4月に入ります。
前田敦子さんのものまねをすると、AKBファンからの苦情で、自身のブログが炎上し、引っ越しも3回するのをよぎされるなど、その後も大変な思いをしても、やめなかったのは、こんな強い思いからお笑いを始めたからなのですね。
テレビで見ていても、お笑いへの強い意志や、社交ダンスへの思いが伝わってくるのは、こんな背景があったからなのかもしれません。
キンタロー。さんの父親も亡くなっていた。
その後、芸人として成功し、テレビに出る機会が増えるものの、父親には芸能活動をしていることを内緒にしていました。
それが、2013年3月に、キンタロー。さんは、意を決して父親に報告に行きました。
そしたら、いつもは部屋にこもっている父親が、広間に出てテレビを見ていたそうです。
そんな父親が言ったことは
「知っていたよ」「何も心配はいらないから、安心して頑張りなね!」
キンタロー。さんは涙が出そうになったそうです。
芸人としての娘の活躍を喜んでいたお父さんでしたが、2014年に亡くなってしまいます。
入院中も、仕事で忙しくお見舞いにあまり行けなかったという、後悔の念があったというキンタロー。さんが、結婚式に託した思いとは・・・
妹さんとのバージンロード
常に両親が気にかけていた、というキンタロー。さんの結婚。
家族で結婚式を行いたい、と考えたキンタロー。さんが、プランナーさんと相談を重ねて出した答えは。
「バージンロードを妹さんと歩くこと」
母親のヴェールダウンも、父親と歩くバージンロードも叶わなかったキンタロー。さんが、妹さんと歩いたのは、こんな意味合いが込められていたのですね。
「生前2人とも私の結婚を今か今かと心待ちにしておりました。そんな2人もきっと天国で喜んでいる事と思います」
ご両親の死を乗り越えて、幸せをつかんだキンタロー。さん。
これからも、ご両親に見守られて、活躍していくことと思います。
キンタロー。の両親は亡くなっていた。その死因とは
というわけで今回は、キンタロー。さんの亡くなったご両親について見ていきましたが、いかがでしたでしょうか。
テレビに出演しているキンタロー。さんは、とにかく元気で明るくて、こんな事情があったなんて、みじんも感じさせません。
お笑いに対する気持ちもきっと人一倍強かったでしょうし、ここまで活躍して、幸せをつかみ取ったキンタロー。さんは、本当にかっこいいですね。
娘さんも生まれて、これからも幸せに活躍するキンタロー。さんを応援したいと思います!
キンタロー。の子供がかわいい!についての記事はこちらです↓